2008-01-29

アイドルという意匠

日曜夜の横アリで始まってすぐ(SL的にはラブマだったか?)、明日菜が左前に立った。左前と言っても脇通路を通してなので、距離感や位置関係としては結構良い感じ。
「あー、やっぱり明日菜可愛いなー」と思って、いざがっつこうと思ったんだが怯んで出来なかった。何て言うかさすがに、明日菜に(俺が)がっつくのは人としてそれはイケナイ、って心の声が聞こえてきた。
このことは勿論、明日菜にがっついている他の人が人として駄目、ということでは全くない。あくまでも俺自身の問題。

(実際にがっついた)愛理やマイマイ(余談だが、萩原舞のニックネームマイマイは半角カナで表記すべきという話を誰だかに聞いた。「ミヤビチャン」も同様)がOKで明日菜が駄目って言っても、年齢とか大して違わないじゃん、と言われればその通りなんだが、やっぱり℃-uteのメンバーとエッグとでは次元が違う(と言ってもこのことは「℃>エッグ」という価値判断を意味するものではないので再度念の為。)。次元、質、或いはアイドルとして纏っている意匠(衣装の誤用ではない)の差であり、有り体に言えば、コマーシャリズムに乗ったアイドルという手垢の有無でもあろう。

ここで「手垢」という表現を敢えて使ったが、この「コマーシャリズムに乗ったアイドルという手垢」は、アイドルを応援していく上で社会的にもとても大事なものだと思っている。と言うのは、時には親子程も(人によっては更に孫程も)年齢の離れたローティーンに対してがっつくことが許されるのは、それがアイドルという名の意匠だとか象徴装置を纏っているからだ。そこら辺にいる普通の女の子にがっついたら、それは犯罪であり処刑の対象です。更に言うと、逆説的な謂いにはなるが、アイドルという意匠を纏っているからこそ推しの対象となれるとも言えよう。

じゃあ、同じエッグの西念にがっついたのは何でOKなんだよ?ってことになるのだが―。
それはもう年齢の差ですな。意匠やら装置やら、そして年齢の差も、それらは佇まいという視覚に立ち表れるわけで。

  • マイマイが可で明日菜が不可→意匠
  • サイネンが可で明日菜が不可→年齢
ということ。

いざ明日菜を前にして、射竦められたが如く怯んでしまった自分を振り返って、まだまだ甘いなあと反省(?)してみたり、何だかんだ言って実は明日菜の眼力が凄すぎただけだったか?などと妄想してみたり。
何だかんだでコンサートの余韻に浸ってるなあw

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